めげそう

三日坊主

ご飯炊けた

メガネのつるが片方まるっと外れた。悲しい。
先代のメガネはレンズが片方すっぽ抜けた。悲しかった。

毎回メガネを新調するたびに、ぜったいこいつは大事に扱うぞと心に決めるのだが、毎回毎回それなりに月日が経つとつるの片方を軸にしてメガネをくるくる回してしまったり、シンプルに踏んづけてしまったりする。そして壊れる。
なんてやつだ、とわたしがメガネなら思ってると思う。ごめん。

というわけで、数か月ぶりにメガネなし生活を強いられている。
当代のメガネを買ったのがいつだったのかあんまり覚えてないけど、たぶん今年に入ってからだった気がするので、まあ長く見積もっても半年強……か……。

ここ3か月ぐらいはたぶん何かの拍子に踏んづけてしまったせいで顔の幅とメガネのつるの幅が合わなくなっていて、下を向くたびにスコーンとメガネが落っこちたり、メガネをかけて2秒経つとメガネがずり落ちてきたりして、それなりにイライラしながら過ごしてはいたんだけど、でもやっぱりあるとないとじゃ大違いだ。そもそも見えん。
わたしは目が悪い界の中では目が良いほうだという自負があり、実際メガネもコンタクトも度数はそんなに高くないんだけど、でもやっぱり裸眼だと生活がとても不便である。恋人や母親はわたしの2倍くらい(視力の良しあしにそもそもこんな考え方はふさわしくないとはわかっているが)目が悪いので、なんか、どうやって暮らしてるんだろう……と思う。
わたしは多分もうこれ以上視力は落ちないと思うんだけど、恋人も母親も年々視力が落ちているらしい。

メガネもしかり、イヤホンもしかり、たまに生活を営む上で、これを開発した人、天才なのでは……!? と思うことが多々ある。
まあイヤホンはさ、なくても生きていけるけど、メガネよ、メガネ。メガネを開発した人のおかげで、一体世界中のどのくらいの人口が障碍者たらずに生きていけているのか。わたしでもギリアウトだよ、この視力。だってこのまま外出られないもん。怖くて。
先人は偉大だなあと思う。むろん現代人にも偉大な人は数多くあろうが、いかんせんいまいち理解できていない。というか、そのありがたみを享受できるぐらい一般化されるにはまだ年月がかかるんだろうなあという印象。いや具体的に何が? と言われると全然例が思い浮かばないけど。
たぶんメガネとかもそうなんだろうな。そう思うとやっぱり現代に生まれてよかったと思う。

結構輪廻転生を信じる派(というか、ロマンがあるなと思う。実際自分が転生している様は想像つかないけど)なので、もしかすると今のわたしの先代は江戸時代の半ばとか、安土桃山時代とか、平安時代とかに生きていたかもしれないんだけど、そしたらまあ多分それなりにその生活を楽しんで暮らしていたと思うんだけど(そうするほか方法がないからね)、……あっそうか、そもそも日本人じゃない可能性もある。ヨーロッパ人とかだったかもしれない。跡継ぎ争いの戦争してたかも? はたまた人間じゃなかったかもしれない。チョウチンアンコウとかさ。わからんけど。
まあ、うーん、輪廻転生にはロマンがありますなあ。あれ、そういう話だっけ? 違う違う。
そう、昔に生きてたら、それはそれで、というか、そうするほかないから、というか、まあとにかくその暮らしを満喫して今みたいに暮らしてたと思うんだけど、でもやっぱりわたしは現代が好きだなあと思う、って話です。
まあほかの時代に生きたことがないからこんなこと言ってるんですけど。あ、あと、今のこの時代でそれなりに恵まれた暮らしをさせてもらってる自覚があるから言ってるんですけど。

ちなみに好きなのは古生代だよ。あの時代の生き物であった自分が過去にいますように!