めげそう

三日坊主

なんかよく見えると思ったらコンタクトつけっぱなしだった

吹田市の犯人捕まったね。警官の人も快方に向かっているようでよかった。
ひどいことをした人なんだけども、犯人についての続報が出るたびになんだか少し胸が痛むのは何故なんだろうなあ。

全然関係ないんですけど、さっきから隣人がどすの利いた声で怒鳴っていて怖い。見知らぬ男の人の声って感情にかかわらず怖いと思ってしまうなあ。苦手。
そういえば焼肉は延期になりました。代わりにマクドナルドに行って念願のチーズバーガーを食べたよ! おいしかった。

閑話休題。1年前の振り返りをします。

去年の今日、明確に無理になった。
本当は今日じゃなくて昨日(6/18)だし、もっと言うともう少し前から薄々駄目になりつつあることには気づいていたんだけど、去年のこの日を境に体が動かなくなった。忘れもしない、朝に地震があった、その頃わたしはベッドの上じゃなくて今座っている場所に布団を引いて眠っていて、だから枕元すれすれのところにパソコンが落ちてきて、寝ぼけたまま悲鳴を上げた。揺れる一瞬前に目を覚ました、緊急地震速報のアラームが鳴っていた、すぐに揺れた、慌ててツイッターを開いた、恋人と家族に連絡を入れた、わたしの大切な人たちが全員無事であるように祈った。ついに南海トラフがきたかと思った。それは勘違いだったけど。

カウンセラーや主治医たちには去年の地震の日から駄目になったと明言している。さっきも書いたように少し前から駄目な風潮はあって、でもぎりぎりのところで持ちこたえていて、そのぎりぎりの細い1本の糸が揺れでぶっつんと切れてしまったんだと思う。
いろいろあったのだ。本当は。でもなんかもう全部忘れてしまったな。嘘だけど。

1年後の自分が休学しているなんてあの頃は想像もしてなかったけど、今も休学している現実を完全に受け入れて前向いて生きてるわけではないけど、でもあのときよりはだいぶん、いや、ちょっとかもしれないけど、なんか、絶望的ではないなと思う。
絶望的ではあるけど、もう死ぬしかないとか、だれにも顔向けできないとか、ああいう気持ちは少しだけ薄れた気がする。恋人や母が現状を否定せずにいてくれるおかげだ。本当にありがたいと思う。

がんばろうって思えるときがあるようになった、っていうのは、割とでかいことなのだ。ん? なんか日本語おかしい気がするけど。
少なくとも去年の今日のわたしには希望なんてなんもなかった。誰もわかってくれないと思った。このまま押しつぶされて死ぬしかないんだと、努力すらできなくなったごくつぶしは生きている価値がないんだと思って泣いた。苦しかった。
今も苦しいときはあるし、贅沢にも生きていたくないと思うときはあるし、もう二度と社会に戻れないんじゃないかとか考えるし、ごくつぶしじゃなくなったわけじゃないし、特に状況が好転したわけでもないんだけども、なんか、なんだろうな、わからんけど、とにかく、死んでない。生きている。ありがたいことに。

さっきね、日本海側のほうで大きな地震があったらしい。怖いと思う。遠くのことだけどそんなに遠くない。このあたりだっていつか大きな地震がくるだろうなと思う。
この世で誰も死なない日はないだろうし、わたしもいつか死ぬし、わたしの大切な人たちだっていつか死んでしまうんだろうと思う。実際祖父は亡くなってしまった。祖父の死はわたしにとって割ととっても大きな衝撃で、未だにあのときAEDを探しに走ればよかったとか、玄関を開け放しておけばよかったとか、冷たい祖父とか、茶碗が割れた瞬間の胸苦しさとか、焼却炉のボタンを押すことを拒否する祖母の泣き顔とか、いろいろ、寝る前に考えてしまうことが多くて、そのたびになんともやるせない気持ちになる。
でもわたしたち以外にとっての祖父の死って誰も知らないわけじゃない。どこかの誰かの死でしかなくて、わたしにとってのどこかの誰かの死は世界中で、日本中で、同じ県下ででも数えきれないくらいあって、あー、なんかよくわからなくなってきた。
とにかく、とにかくね、日本海側の人たちがなるべく無事であればいいなと思う。海辺の人と川沿いの人たちはなるべく高いところに逃げてください。

わたしも何かあったときはすぐに逃げられるようにしておこうと思う。そのときはお願いだから恋人も家族も無事であってほしい。


ここまで書いてブログ更新しようと思ってブラウザ開いたら(いつも先にメモ帳で下書きしてます)津波注意報解除したってニュースが出ていた。よかった。
なるべく家具から離れて2階で眠って、少しでも休めますように。月並みなことしか言えなくてすみません。