めげそう

三日坊主

近況

深夜0時頃にぱたんと寝落ちて、1時過ぎに起きて、それ以降眠れずにいる。
なんでやねんと思いもするが、まあ夏だしなあという思いがないでもない。
悲しいことはいつも夏に起きるし、その大半は自分で引き起こしている。

3週間ほど前に、朝に飲む薬が1つ増えた。
それがよく効いていると見えて、最近は無駄に何かをしていたり、何もしていない時間をもったいなく感じたりしている。
まあ、だからと言って実質的に必要なことは何一つ手をつけていなくて、本を読んだり物を捨てたりしているだけなんだけど。無駄に、と書いたのはそういうわけである。
かと思うと睡眠導入剤が普段の1.5倍量飲んでも効かない今日みたいな日があったりして、なんだかなあ。我がごとながら体のことはよくわからないね。

そういえば、祖母がずっと体のことを「かだら」と言い続けていて、幼少期はずっと祖母が間違っているのだと思っていたが、大人になってからそれが地元の方言であることを知った。
祖母が毎度言い間違っているわけではなく、一定の年齢以上の人はそう言うことも珍しくないらしい。知らなかったな。

今の主治医のことがそこそこに好きなので、4年? 3年? 通い続けている中で今が一番ストレスなく通院できている。
別に今までの主治医が悪かったとかでは多分なくて、いや相性の良し悪しはあったかもしれないが、何を話せばいいのか私もわからなかったし、私が何も話さないから主治医も私のことがわからなくて、結果薬の量すら適切じゃないまま数年が経ってしまって、きっとこれも必要なことだったんだろうけど、薬が増えて元気になれるならもっと早く増やしてもらえばよかったなとか、1時間待たされて1分で終わる診療はないだろうとか、まあ、思うところはあるんですけど。
いい人に出会えてよかったなというのと、あの人とも今までの主治医たち同様今年度だけのつきあいなんだなと。独立とかしてくれないかな、多少遠くても通うからさあ。

音楽をやっている知人が羨ましい。
学業で結果を出している知人が羨ましい。
働いている知人が羨ましい。
人の話を聞いていると、いいなあすごいなあと思うばかりで、自分は、と考えてしまうが、まあそんなことを思っている暇があったらやりたいことをやるなり本当はやりたくないことはすっぱり諦めるなりする努力が必要なんだろうな。
何でもやりたい何でもしちゃう人へのあきらめは尽きないが、やりたいことに向かって邁進している人が羨ましいのはしっかり自覚しているんだから、そうなれたらいいのにな。

自分にできることは自分と周りに真摯に向き合うことだけで、周りがどう思うかは私の問題ではないのでどうすることもできない、みたいな言説を最近読んだ本で見た。
それは確かにそうなんだけど、どうすることもできないから放り出しておくわけにもいかないだろうと思う。まあ、そういうところも含めての「真摯に向き合う」なんだろうけど。

なんとなく躁っぽいというか、友人たちに会う時期がいつも集中しているので、例によって続けざまに友人たちに会って話したんだけど、私こんなふうに話せるんだなということを久しぶりに思い出した。
人間のことがあんまり得意じゃないけど、それでも今会ってる人たちのことはそれなりに好きなんだろうな。
彼女らを捨てずに生きていきたいと思う。まあ、おとなしく捨てられてくれる人たちでもないけど。